2010/01/21

Laffont and Meleu (2001)

引用ルールの違反だとわかりつつも、元記事リンクがめんどくさくなってきた。コピペではなく自分の文章じゃないと駄目というのも著作権法はウルサそうだが、記事下にあるECONOCLASMというラベルにすべて押し込めて、コピペで済ませてしまおう。
Separation of powers and development
Authors: Laffont J.-J.; Meleu M.
Source: Journal of Development Economics, Volume 64, Number 1, February 2001 , pp. 129-145(17)
Publisher: Elsevier
>公共財を生産する独占企業と規制当局がいて、規制当局はこの公共財生産企業の生産費用を補填する。企業の生産技術の効率性を規制当局は知らないという典型的な逆選択モデル。効率的な企業は情報レントと呼ばれる超過利潤を得ることが出来る。

ここまでは契約理論の教科書に出てくる普通のお話。

ここで情報の非対称性を緩和するために監査官を導入する。監査官は企業の本当の生産効率性を一定の確率で知ることができる。この確率の大きさが監査技術の水準。しかしこの監査官は本当の効率性を知ってもそれを規制当局に対し隠すことで、
効率的な企業の情報レントを着服することができる。(交渉力原理によって企業の取り分はゼロになる。)これを防ぐために規制当局は監査官に一定額の報酬を与える。報酬額が大きいほど社会的厚生は下がる。報酬の財源としての徴税は厚生損失を生じさせるから。

ここまではLaffont and N'Guessan(1999JDE)とほぼ同じ。

ここで監査官を二人にする(権力分離)。すると互いに牽制し合うので、腐敗防止のために必要な報酬額が監査官一人のときより少なくて済む。故に、権力分離によって社会厚生は増加する。

この権力分離による社会厚生の増加幅が途上国の方が大きいというのがLaffont and Meleu(2001JDE)の第一の結論。ここで途上国とは、
i)徴税による厚生損失が大きい
ii)生産技術が効率的であるか否かのギャップが大きい
iii)腐敗の取引費用(監査官の倫理感、腐敗摘発の厳しさなど)が低い
iv)監査技術の水準が低い

しかし二人の監査官が協力して二人とも嘘をつく可能性がある。このことと、監査官を雇うのに必要な費用を考慮に入れると、権力分離の実行コストは途上国の方が大きいという第二の結論が出てくる。

つまり、途上国では権力分離が望ましいとは限らないのだ。

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