2009/03/30

天野(2004)

天野倫文(2004)「東アジアの国際分業と企業成長への序説―立地と分業がもたらす経済効果の探求MMRC Discussion Paper No. 8.

要旨
 直接投資や貿易の展開を通じて東アジア地域に広大かつ稠密な産業ネットワークが形成されてきた背景を振り返るとともに、3つの観点から理論的な整理を行う。
 第一は東アジア地域における企業の立地優位性に関する検討である。立地優位性の獲得は企業の国際化を促す最も基本的な動機であるものの、経済成長や産業発展の状況が進むにつれてその源泉が変化してゆく。それに応じて企業も立地や現地化のあり方を変えてゆかねばならない。
 第二は国際分業がもたらす経済効果の検討である。企業は国際化を進めることによって、立地優位性を獲得するばかりでなく、国際的な機能分化を通して経済効果を享受する。日本企業の場合は、プラザ合意以後の日本国内の生産性低下から脱却を図るといった意味でも、東アジアとの国際分業と国内事業の高度化は悲願であったが、ここでは国際分業が具体的にどのような経済効果をもたらすのかを検討する。
 第三に、産業集積がもたらす外部効果について検討する。東アジアにおける産業集積は、企業が立地選択を行い、立地優位性を高める際の鍵となる。また国内における産業集積の動向を見ることによって、空洞化の状況と、空洞化を克服するための構造調整のプロセスについて、その論理的経路を明らかにすることができる。

藤本(2007)

藤本隆宏(2007)「日本発の経営学は可能か―ものづくり現場の視点からMMRC Discussion Paper No. 148.

アメリカの経営学は圧倒的影響力を持ち、経営学部すら無い東大と比べて米国のビジネススクールはスタッフの数も充実している。ジャーナルには厳しい査定があり、教授へ昇進するために厳密で短い論文を量産するように競っている。そのため、アメリカの経営学はアメリカにおいて強みであるモジュラー型産業が研究対象となっている。

しかし、経営のグローバル化が進んだとき、経営学のローカル化を進めなければならない。日本においてはインテグラル型産業が優位となっているのに、アメリカの経営学において自動車産業が研究されることはまれであった。日本のインテグラル型産業は長期取引・長期雇用の制度下で優位となった。日本の競争力を支えるのは、大学における「固有技術」と企業における「ものづくり技術」であった。固有技術は高度な知的財産となるものの、ものづくり技術によって組み合わせられなければイノベーションとして成り立たない。

困難に直面する日本としては、この「ものづくり技術」「ものづくり経営学」をオールジャパンで支え、世界に発信していくべきである。

2009/03/29

コッター(2002)

ジョン・P・コッター(2002)「リーダーとマネジャーとの違い」『リーダーシップ 』ダイヤモンド社。Kotter, John P. (1990) "What Leaders Really Do?" HBR, May-June.
リーダーシップマネジメント
共通点(1)課題の設定(2)課題の達成を可能にする人的ネットワークの構築(3)課題の実現
長期の目的将来ビジョンの提示将来の目標の決定
短期の目的ビジョンの実現のための戦略計画立案と予算策定
達成の方法メンバーの精神的団結組織化と人材配置
達成の担保動機づけと啓発コントロールと問題解決
衝突の調整仕事外の人間関係仕事上の組織構造

ミンツバーグ(2002)

ヘンリー・ミンツバーグ(2002)「マネジャーの職務:その神話と事実の隔たり」『リーダーシップ 』ダイヤモンド社。Mintzberg, Henry (1975) "The Manager's Job: Folklore and Fact," HBR, July-August.

神話1:マネジャーは内省的で論理的な思考をする計画立案者である。
事実:マネジャーはパパッとやっていっている。

神話2:有能なマネジャーは、日常的な遂行業務を持たない。
事実:マネジメント業務には、人間関係の構築なども含まれる。

神話3:偉い管理職は総合的な情報を必要とし、うんたらかんたら。
事実:マネジャーは電話や会議を重視している。

神話4:マネジメントは科学であり、専門職である。
事実:マネジャーは直観で動いている。

マネジャーの対人関係における役割
(1)看板(2)リーダー(3)連絡
マネジャーの情報にかかわる役割
(1)組織内で飛び交う情報のモニタリング(2)組織の内外との情報交換(3)スポークスマン
マネジャーの意思決定の役割
(1)手広くポンポンと行なう(2)障壁の除去(3)リソースの割り振り(4)重大懸案の交渉

以上の10項目は不可分の役割。

2009/03/25

卒業生答辞

文学部の長崎さんだっただろうか。

コミュニケーションの幅が広いと、自分を客観的に見ることができ、他人の意見に安易に流されない、という卒論の結果を明らかにした。

小宮山(2009)

2009年3月24日小宮山宏総長告辞

入学から卒業までの4年と総長就任から任期満了までの4年が重なるので、この卒業式は感慨深い。
大学改革に向けたリーダーシップという社会的要請と研究の自治を求める内部の声は一見相反するものであった。
その解決としては、まず自律分散型組織を形成して、その調整にリーダーシップを発揮することで協調的組織あった。
社会的要請として、何度も訪れる社会的課題を解決じなければならない。そのためには、特定の専門知識だけではなく総動員する必要があるので、「知の構造化」を唱えたわけである。

大学で身につけた「本質を捉える知」「他者を感じる力」「先頭に立つ勇気」を活用して、現代社会が抱える様々な課題を解決することを卒業生に求める。

2009/03/22

必勝クレーン奥義

http://www.aou.or.jp/douga/main.swf

UFOキャッチャーの正しい取り方

2009/03/20

Jobs (2005)

'You've got to find what you love,' Jobs says

スタンフォードの卒業生たちへ
(1)事後的に点と点は繋がる。
(2)自分の愛することを続ける。
(3)覚悟ある死の準備。

映像
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5062671

2009/03/16

TOEICブログ

TOEIC対策 疑問ひたすら100連発 by ヒロ前田
http://toeic-info.jugem.jp/
TOEIC満点&アメリカ移住への道
http://toeicjuken.seesaa.net/
TOEIC連続満点サラリーマンのブログ
http://texkatotoeic422.blog33.fc2.com/
TOEIC Blitz Blog
http://toeicblog.blog22.fc2.com/

Tovar (2008)

Tovar, C. E. (2008) "DSGE models and central banks," BIS Working Paper No. 258.

Abstract
15年以上に渡ってDSGEモデルは特筆すべき発展を遂げてきた。先進国および新興国の中央銀行が政策分析と経済予想に対する有用性に関心を示してきている。中央銀行がDSGEモデルを使い回すにあたって、いくつかの論点と難点がある。政策議論を構造するにあたって首尾一貫した枠組みが要請されることは明らかである。それでもやはり、モデルに対する要請をすべて解決するモデルはまだ存在していない。第一に、経済の流れをメカニズムあるいはセクターとして直接的に描写することはできていない。第二に、モデルの実証研究方法は議論の余地がある。第三に、どうやったらモデルの特徴や政策含意を効果的に政治家や国民に伝えることができるのかということが難しい。概して、現段階のDSGEモデルには大きな限界がある。このことがどれだけの問題となるかは、中央銀行による具体的なモデルの使用如何に依存するだろう。

http://d.hatena.ne.jp/koiti_yano/20090207

Cogan et al. (2009)

Cogan, John F., Tobias Cwik, John B. Taylor and Volker Wieland (2009) "New Keynesian versus Old Keynesian Government Spending Multipliers," NBER Working Paper No. 14782.

Abstract
財政政策に関してどのような数量モデルを使えば政策評価ができるのかということが新たな争点となってきている。不確実性をモデル化するという要請から、仮定をいじっても頑健な政策評価ができるということが重要となる。しかし、現在の財政政策による景気刺激案を実際に評価するために使われているモデルは頑健とは言えない。主流のNew Keynesianが主張している政府支出乗数は、Old Keynesianの政府支出乗数よりも大変小さいものとなっている。Smets-Wouters modelで追試したけど、Romer-Bernstein modelよりも効果が小さかった。

著者にNew KeynesianなTaylorも名を連ねているから、Old Keynesianな米政府を批判しているんだと思う。

http://yanagibashi.blogspot.com/2009/03/new-keynesian-versus-old-keynesian.html

ゴーフィー・ジョーンズ(2001)

ロバート・ゴーフィー、ガレス・ジョーンズ(2001)「共感のリーダーシップで部下の力を引き出す」『コーチングの思考技術』ダイヤモンド社。Goffee, Robert and Gareth Jones (2000) "Why Should Anyone Be Led by You?" HBR, Sep-Oct.

ありがたいことに結論は太字でわかりやすく書いてある。部下にやる気を出させるリーダーには4つの共通資質があるのだ。
(1)自らの何かしらの弱点を見せることで、近づきやすい人間的な印象を与える。ただし、深刻な弱点を見せることはしないし、弱点が嘘であると見抜かれてはいけない。
(2)直感的に空気を読む。
(3)心から部下を思いやり、それでいて甘やかさない。部下の仕事に強い関心を示す。
(4)他人との違いは隠さず、自分らしさをうまく生かしていく。

その上で、
(5)距離感は近づけつつも、ナメられないような距離にしておく。
(6)リーダーシップは日常的に示すべきであるから、自分らしさとリーダーシップをうまく両立させるべきである。

小野(2008)

小野一(2008)「現代ベーシック・インカム論の系譜とドイツ政治」『レヴァイアサン』第43号、木鐸社。

ベーシック・インカムをめぐる定義(以下、BI)
(完全BI)社会的立場に関わらず、無制限の市民権としてすべての人に個人単位で支給される。
(部分BI)給付額として最低限の生活保障を下回る水準を設定する。
(生活保護)スティグマと事務コストが発生するが、低収入を証明すれば最低限の生活が保障される。
(スティグマ)低収入を証明する際の恥辱感のこと。
(失業の罠)生活保障の味を覚えて働かないこと。
(負の所得税)BIは事前的な給付だが、負の所得税は事後的な還付と言ってよい。

BIに関して強調される利点
-家族単位の給付でないことは女性の社会進出と整合的である。
-資力調査に伴うスティグマと事務コストが発生しない。
-全員に配布されるため失業の罠がなくなる。
-労働賃金に左右される生活から解放される。
-自由な労働や貢献活動を促進できる。

BIをめぐる論点その1
労働と賃金を切り離すことの影響として、ワークシェアリングの理念が強調される一方、フリーライダーの発生が懸念される。それに対して以下のような反論があるらしい。
(自然からの授かりもの説)そこらへんのモノは労働じゃなくて自然資源からできたものだから、労働に対する対価ではなくて、人間全員に対して報酬を還元すべきだ。
(雇用レント説)労賃が高く設定されていることで、失業者は雇用市場から弾かれている。労働者は失業者から搾取しているのだから、これを元に戻すのは当然である。
(プラグマティックな議論)そもそもフリーライダーを名指ししていくのは難しい。フリーライダーを摘発するコストを考えると、どうでもいいではないか。
(プライスタグ説)たしかにBIにも悪い点はあるよ。でも、BIを導入することで労働から貢献活動へとシフトできるじゃないか。

BIをめぐる論点その2
ドイツとフランスの事例を考えると、純粋なBIを現実に導入することはきわめて難しい。失業の野放しやその他社会保障政策との整合性が課題となるようである。

2009/03/13

バトラー・ウォルドループ(2001)

ティモシー・バトラー、ジェームス・ウォルドループ(2001)「キャリア・デザインで優れた人材を活かす」『コーチングの思考技術』ダイヤモンド社。Butler, Timothy and James Waldroop (1999) "Job Sculpting: The Art of Retaining Your Best People," HBR, Sep-Oct.

(1)仕事で幸せを感じる要因は能力、価値観、人生の目的であると研究されている。
(2)まずは人生の目的を探らなければならない。すべての仕事は以下の8つの組み合わせとして分類できる。
-技術マニア
-定量分析マニア
-抽象的な理論が好き
-新しく生み出すのが好き
-相談に乗るのが好き
-人付き合いが好き
-仕切るのが好き
-アウトプットが好き
(3)人事部は会社のローテーションで考えるし、ひとりひとりの素質を把握しているわけでもない。キャリア・デザインを人事に丸投げしてはいけない。
(4)直属の上司が直属の部下の「人生の目的」を把握してはじめてキャリア・デザインが始まる。
(5)仕事を変化させて、満足度を与えさせるべきである。
(6)短期的にはポストのやりくりが難しくなるが、長期的には優秀な人材の転職を避けることができる。

ウォルドループ・バトラー(2001)

ジェームス・ウォルドループ、ティモシー・バトラー(2001)「有能な人材の『悪癖』を取り除く方法」『コーチングの思考技術』ダイヤモンド社。Waldroop, James and Timothy Butler (2000) "Managing Away Bad Habits," HBR, Sep-Oct.

簡単に言えば、悪癖つきの花形社員を6つのタイプに分類し、それぞれに対処法を講じている。しかし、対処法はなかなかアメリカ的で、「××しろ、さもなければ退社してもらう」といった感じなので、対処法についてはすべて捨象する。ただし、花形社員の悪癖は4つの心理的原因があるとしていることは応用可能である。
(1)他人の視点を理解できない。
(2)権力を行使するタイミングと方法がわからない。
(3)権威とうまく折り合いをつけられない
(4)自らが描く自分のイメージに否定的である。
マネージャー(管理職)としては、ここらへんを意識的にコチョコチョしてやればいいわけである。

2009/03/12

ボールドウィン(2001)

デイビッド・G・ボールドウィン(2001)「メジャー・リーグ流コーチング」『コーチングの思考技術』ダイヤモンド社。Baldwin, David G. (2001) "How to Win the Blame Game," HBR, July-August.

結論から言えば、以下の5つが普遍的鉄則である。
(1)非難すべきかどうかのTPOを判断する。
(2)非難は個別に行ない、称賛はみんなの前で行なう。
(3)非難しないまま放置することが一番最悪。
(4)間違った非難に対してフォローする。
(5)非難とともに傷つける自信に注意する。

具体化すれば、以下のような実践ができる。
(1)散漫した注意力には叱責、
一時的なスランプには応急措置的アドバイス。
(2)感情的な非難を防止するために、
近くに「怒りのぶつけ役」を置いても良い。
(3)本人にかわるイケニエを利用することで、
名指しせずに「状況(=イケニエ)が悪かった」と非難できる。
人には非難しない。状況を非難する。
(4)間違った非難とは、単なる責任の押しつけのことである。
    (3)の方法が使える。
(5)称賛を惜しまない。
非難は自信の向上という観点から活用する。

2009/03/11

イバーラ(2001)

ハーミニア・イバーラ(2001)「プロフェッショナル組織のメンター養成講座」有賀裕子訳、『コーチングの思考技術』ダイヤモンド社。Ibarra, Herminia (2001) "Making Partner: A Mentor's Guide to the Psychological Journey," HBR, March-April.

若手プロフェッショナルの成長は以下の三段階を繰り返す。
(1)お手本を観察する。
(2)新しい行動スタイルを試す。
(3)この成果を顧みる。
ただし、注意点としては、お手本を真似する際に、お手本を丸々真似するのではなく、自分にあったクセを真似していかなければならない。ゼロかイチでコピーしていくのではなく、イイトコドリをしていくほうが成長しやすいのである。さもなければ、「自分とはあわない」という理由だけで全てゼロを選んでしまう。したがって、「自分とは合わないが、学ぶべき点もある」と肯定的にとらえて諸先輩方の良いトコロを盗んでいくのだ。

その上で、メンター(助言者)は何をすべきか。まずは、メンター自身の内面を伝える必要がある。自分がどのように考え、どのように行動しているか伝えることで、後輩に盗ませることができる。そして、後輩に対して手本となる先輩を複数紹介すべきである。この複数というのも違うタイプの人物が望ましい。上述したように「合わないタイプ」だけで構成されていたとき、成長に貢献しないからである。新しい自分を作り上げさせるためには、環境を変えてあげたり、古い自分を捨てるように諭したりすることも大切である。

こうして組織をあげて若手を教育すべきであるし、メンター自体の向上もやっていくべきとのこと。なかなか示唆に富む論文であった。

http://www.geocities.jp/nymuse1984/coaching.html

2009/03/09

ドラッカー(2000)

ピーター・F・ドラッカー(2000)『プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか』上田惇生訳、ダイヤモンド社。

マネジメントの知識が発展したことにより知識労働が生産要素となった。そして、分業化・専門化の流れは専門知識とそれに対する集中を要請する。ひとりひとりがエグゼクティブであり、自らに目標と自己規律を課すべきである。リーダーシップとはカリスマ性でも資質でもない。 リーダーは、たとえ間違っているとしても、一貫性がなければならない。 リーダーは、信頼を得て、従う者がいなければならない。 リーダーとは、地位や特権ではなく、責任である。

組織に働く知識労働者は成果を求められる。期待される成果は何なのか、自分が貢献できる人物は誰なのか、自分の貢献がさらに重要になるには何が足りないかなどを自分だけでなく他人もまきこんで仕事の可能性を追求してこそ成果となる。

人と人を繋げるのはコミュニケーションであろう。 コミュニケーションには4つの原理がある。 第一に、受け手に正しく理解させる。受け手の知覚能力の範囲内であるべきであり、 受け手の言葉で説明しなければならない。 第二に、期待されていない情報は無視される。聞き手は話を聞き流してしまう。 第三に、受け手に対し反応を要求するものである。その人の「何かをしたい」という気持ちをくすぐらなければならない。第四に、情報はコミュニケーションを伴って伝えられるが、かといってコミュニケーションが論理的である必要はない。

一方、能力は成果のフロンティアを決定する。 能力の向上無くしてフロンティアは広がらないが、実際の成果をそのフロンティアに近づけるには、自分の能力を成果に結びつけようとする習慣的な努力さえあればよい。 その上で制約となるのは時間である。無駄を徹底的に省くべきであり、それではじめて強みに集中できる。能力的に成果が上がらない分野、不必要なルーティンワーク、過去には価値があったが陳腐化した仕事などを浮かび上がらせることでスリム化し、まとまった時間を確保する。確保した時間を使って直面した課題を解決する。意思決定は意見の対立から始まる。事実から生まれるものではない。問題解決は可能か?解決に最小限必要なことは何か?必要条件を満足させる正答は何か?誰がどのようにすべき、ということを誰に伝えたらよいか?決定の結果が目的に沿っているか?という5つのステップを踏む。意思決定もまた集中して行なわれるべきである。決定を見直しすぎてはいけない。確信がないときは決定を見送るべきである。必要がないときは不作為を決定すべきである。

自分の強みはいままでの成果から逆算することができるし、他人に自分の成功体験を語ることで自分を再発見することができる。また、他人の強みを活かしてあげることは後々の自分の成果になる。情けは人のためならず。

まとめると、
-卓越した強みを徹底的に活かすべし。
-時間の無駄を省くべし。
-自分の使命と規律を明確化すべし。
-自分を他人にとって不可欠な存在にするべし。

高橋・森垣(1993)

高橋亀吉、森垣淑(1993)『昭和金融恐慌史 』講談社。

恐慌以前
経済の近代化に比べて、銀行制度は前近代的であり、資金力が乏しい小銀行が濫立していた。しかも、貸出に関しては経営内容ではなく、コネのような信頼関係(とは言っても付き合いは深くない)であり、そこに多額の貸付けを集中して行なっていた。
それでいて1915年(大正4年)頃から世界大戦による軍需の増大や欧州における供給力の低下から好景気が訪れる。ここでプチバブルが起きて、後の不良債権の原因にもなった。

恐慌前夜
関東大震災や為替レートの乱高下で経済は混乱する。これは、震災手形や金解禁へと繋がる。
また、台湾銀行と鈴木商店のような癒着関係も進展した。

恐慌発生
1927年に三段階の波が発生する。
第一波、3月の渡辺銀行から始まる京浜地方における銀行取付け。
第二波、4月の台湾銀行と鈴木商店の絶縁に始まる銀行取付け。
第三波、4月の台湾銀行休業に始まる全国的な信用パニック。

善後処置
(1)全国の銀行一斉休業+モラトリアム発令
(2)休業空けの預金支払い確保のための日銀特融
(3)日銀による個別の安定化措置
(4)市中銀行同士による信用安定化の申し合わせ
(5)昭和銀行の設立(休業銀行の整理)
昭和銀行の設立に関しては諸銀行が金を出し合うととともに、銀行重役も出資したらしい。

その後の影響
(1)金融の緩慢化
(2)低金利の出現(資金需要の低下と特融による過剰資金供給)
(3)大銀行、大都市への資金集中
(4)日銀の金融統制力の減退
(5)中小企業の資金調達難

銀行業界への打撃と比べると、産業界・証券界への影響は小さかった。

濱野(2008)

濱野智史(2008)「ニコニコ動画の生成力―メタデータが可能にする新たな創造性」
東浩紀、北田暁大編『思想地図』vol. 2、日本放送出版協会。

創造性とは何か。一般に創造性は作者に焦点が当てられ、教育心理学や病跡学によって「天才とは何か」が分析されてきた。しかし、レッシグやフロリダのように環境に焦点を当て、作者同士の競合や調和を通じた集合的な創造性が着目できる。これを一般の創造力と区別して、ジットレインの言葉を借りて、生成力と呼ぶ。その生成力のケーススタディとしてニコニコ動画を分析する。

たとえば、一次創作として「星のカービィ スーパーデラックス」を考える。二次創作としては、カービィを主人公とした同人マンガが考えられる。(あるいは公式マンガも含まれるかもしれない。)しかし、二次創作は一次創作にぶら下がっており、二次創作に三次創作がぶら下がることはありえないだろう。ところが、ニコニコ動画では「グルメレース」がジャンルとして確立し、次々とMAD作品が生み出されている。(グルメレースというジャンルも有名二次創作が発端である。)このジャンルの確立過程で重視すべきは、動画につけられている「タグ」なのではないかということである。

ここにワインバーガーの考えを応用する。初期段階の整理法はAをBにしまうという一対一の関係であった。次の段階では、AをBにしまったいうことを覚えるためのCを予め用意する。最後の段階では、Aに情報Dを附しておいて、検索機能によってAを呼び寄せるということである。たとえれば、次のようになるだろうか。
(1)ただのURL
(2)yahooのディレクトリ検索
(3)はてブのタグ
タグは後付けであり、(2)のように最初から分類されたものではない。したがって、分類の自由度が高い(3)をfolksonomyと呼び、分類の自由度の無い(2)のtaxonomyと区別する。

ところが、ニコニコ動画は他のタグ機能と違う点がある。たとえばタグ戦争である。簡単に言えば、10個以内というタグの拡散の防止、タグロックという良質のタグの保護、タグの編集の自由を通じて、タグが淘汰される。それでいてタグ設定自体にルールは無い。その例として筆者が挙げているのは「××は俺の嫁」といった一見ナンセンスな解釈が許容されていることである。この自由で多様な解釈は、コペンハーゲン解釈のように確率的に存在しており、タグの観測を通じて収束していくようだ。(ただし、変化が止まることはありえない。)以上のような新陳代謝が活性化したタグ環境をfolksonomyと区別して、fluxonomyと呼ぶ。

こうして進化していくタグは、動画と動画を結びつける媒介であり、作者もこれをヒントとして創作活動を行なっているのである。この世界では、作者名ではなく、受け手が作るタグによって評価される。したがって、フーコーが表現した「機能としての作者が現われることなしにもろもろの言説が流通し、受けとられるような文化」が具現化されつつあると言える。

2009/03/08

田村(2008)

田村哲樹(2008)「民主主義のための福祉―『熟議民主主義とベーシック・インカム』再考」東浩紀、北田暁大編『思想地図』vol. 2、日本放送出版協会。

まず、議論の前提となる現代社会の現状として、旧来型の国民的価値観の行き詰まりが挙げられる。つまり、多数派というものの絶対性が弱まってきており、多数派によるコンセンサス形成(つまり多数決)はうまくいかなくなってきた。ひとつの多数派から多くの少数派へと構造変化したとき、徹底した議論によって何らかの共通理解を浮かび上がらせることが代替手段となりうる。

批判としては、徹底議論がそもそもうまくいくのかという点と「合理的な議論」の名の下に何らかの意見がネグられるという点が指摘されている。しかし、徹底議論の間に個々人が価値観を変容させ、当初自分とは異なっていた意見を取り込んでいくという過程もコンセンサス形成の上で期待される。では、熟議民主主義が成功する条件とは何なのか。

筆者はその条件として社会保障としてのベーシック・インカムを挙げる。そもそもグローバル化や脱伝統化という時代の流れは、いまや固定的な価値観に対して否定的であり、つねに個々人が新しい判断を下していかなければならない。そこでギデンズは、個々人は自身の行為の自律性を確保する必要があり、なおかつコミュニティに対する責任を果たさなければならないと主張する。筆者はこのギデンズの議論を社会全体の民主主義に拡張する。

ベーシック・インカムの要諦は民主主義への参加の確保である。つまり、立法や裁判は代議士や裁判官に委託されていたが、労働力の不足からであり、これは生産性の向上によって解決されつつある。また、PTAや清掃などの奉仕活動などは、労働力としてみなされてこなかった主婦層によって担われていた。ベーシック・インカムによって、あらゆる労働者に余暇を確保することで、民主主義への参加を促すということである。この意味で、ベーシック・インカムは弱者保護ではなく、民主主義への貢献に対する謝礼として支払われる。ただし、筆者は民主主義への参加者だけに留まらず、無条件に全員を対象とするべきだと言う。これは、民主主義の参加が、理解不可能な他者への遭遇を意味するからである。民主主義は社会レベルで必要だが、個人レベルで不必要かもしれない。ベーシック・インカムは民主主義を労働市場から切り離すものであるが、ベーシック・インカムを民主主義の参加という有償労働の対価として結びつけてはいけない。民主主義の魅力の無さを増長するからである。思うに、個々人の立場の安定性が民主主義の鍵となるのである。

http://d.hatena.ne.jp/TamuraTetsuki/20090308/p2#c1236563827

橋本(2008)

橋本努(2008)「対抗的創造主義を生きよ!―『労働論の根本問題』に応える」東浩紀、北田暁大編『思想地図』vol. 2、日本放送出版協会。

アーレントは人間活動を「労働」「仕事」「活動」に分類する。労働とは、労働力の再生産をするための労働であり、これは最低限の賃金保障と対応する。仕事とは、世代を超越した時間の流れにおける歯車であり、職能社会と対応する。職能社会は、成果主義ではなく能力主義であり、個々人の人格形成のために適材適所の配置を目指すものである。活動とは、労働や仕事を超越した創造的活動である。生産社会の進展で創造的活動が肝になった(はず)。かといって、芸術家のようなアングラ活動は労働者でない立場であって、労働者の立場からの創造活動がある。これを対抗的創造主義と言うらしい。労働者は自らの人格を認めさせるために、デモ行進や賃上げのような政治的活動を行なってきた(らしい)。どうやら労働者における創造の定義とは、連帯感にあるようだ。結局よくわからなかったので、ページをやぶってゴミ箱に投げ捨てる。

マルクス(2002)

カール・マルクス(2002)『賃労働と資本 』長谷部文雄訳、岩波書店。

19世紀ヨーロッパでは金や銀を貨幣としていた。ところがこの場合、価値が貴金属の流通量や生産量によって依存する点で、貴金属は価値の尺度としては不安定であった。それに替わる尺度として、マルクスは労働によって定められるとした。この説には、投下労働価値説と支配労働価値説がある。前者では、商品の価値は、その生産にどれだけ労働を費やしたかによって決まるとするが、後者では、その商品の価格でどれだけの労働を支配できるかによって決まるとする。つまり、前者は後者と比較して、資本家の利潤や地主の地代などが価値基準に含まれていないことになる。

商品の自然な価値は投下した労働によって定められると定義したとき、資本の価値も当然、これを生産するにあたって投下された過去の労働によって定められる。 つまり、商品はその生産に関して直接的な労働と、道具の減価分と原料価値に相当する労働の総和によって価値が定まるわけである。 換言すれば、商品の自然な価格は生産費であることになる。

資本家と労働者との間をみてみると、彼らは貨幣と労働力を交換している。したがって、資本家は労賃を商品とし、労働者は労働力を商品としていることになる。 労働力は商品であるから、他の商品と同様に、その生産費と等しい価値を持つ。労働者の労働力の根源として、教育や普段の生活が生産費に相当する。特に単純労働に勤しむ下流階級の場合、必要最低限の生活を営むために必要な労賃が与えられるわけである。

ところで、市場で商品が取引される場合には今まで述べた自然な価値に新たな偶発性な変動が加わる。この変動は三つの原理によって構成されているという。需要が少ないとき、売手たちの間では他の売手よりも価格を低くすることで買手を更に多くしようとする。同様に供給が少ないとき買手たちの間では、他の買手よりも高く買い取って商品を入手しようとする。前者は価格を下落させる方向に、後者は上昇させる方向に働くわけだから、ここで両者は競争しあう。この三つの原理である。結局、需給の変動が価格に変動をもたらし、需給関係により市場での価格が定まるわけである。市場での価格は騰落を平均すると、結局今まで通りの生産費に他ならない。

商品の価値は労働の水準、労働力の価値は最低限度の生活水準であった。資本家や地主は自分たちに対する報酬を労賃の総計に上乗せして商品を売り払う。したがって、商品を生産するにあたって労賃分よりも余計に労働することになる。労働者が認められた労働力はその労働者自身が行った労働よりも小さく、その差分は資本家の利潤や地主の地代となる。このことから、労賃と利潤には負の相関関係があることがわかる。

労使は互いに依存する関係であるにもかかわらず、対立的な関係でもある。資本家は前述の通り利潤を得ているわけだが、それにより資本はつねに増大する。資本の増大は賃労働に何らかの影響を与えるわけだから、社会構造上、労使関係は定まった方向に変化することが不可避である。資本が増大すると、資本家間の競争が高まり、労働の機械化や分業化によってコストダウンを行おうとする。その結果、資本家たちは機械の改良や分業の更なる分業を争う。労働の機械化や分業化によって労働は効率化し、簡単化するため、必要な労働者は減り、さらに労働に対する技術の要求度も下がる。労働者たちは職を争う相手が増えることになり、労賃は二面的に下落する。

資本の過剰な競争は資本の利潤率の低下をもたらす。結局、資本の利潤率と労働者の賃金はともに低下し、競争力の弱い資本家は労働者に没落し、また貧しい労働者は死に至る。すなわち、資本の増大は恐慌を頻発させるという推測がなされる。ちなみに、松原隆一郎はここにシュンペータ流のイノベーションを考えれば利潤率の低下は永続的に成り立ち得ないと言っていた。

2009/03/07

入江(2008)

入江哲朗(2008)「『市民性』と批評のゆくえ―<まったく新しい日本文学史>のために」東浩紀、北田暁大編『思想地図』vol. 2、日本放送出版協会。

凡庸と愚鈍
蓮實重彦の概念だが、凡庸とは閉じた型にハマッたありふれた何かであり、愚鈍とは型にハマらない感嘆符の付く開かれた何かと定義しても不都合はないだろう。蓮實は「(凡庸とは)相対的な差異の場である」が、「凡庸さの対極にある言葉は、決して才能でもなければ特権的な資質でもない」と述べているようだ。たしかに天才は型にハマらないこともあるが、その逆は必ずしも成り立たない。また、入江君は次のような蓮實の言説を引用している。
愚鈍というのは、ものの感じられることのできないような何かまがまがしいもの、ただそこにあることでわれわれを脅えさせるようなものを呼ぶわけです。ただしその構図を相対的な差異の計測を許してくれる場に置き、こちらが愚鈍、こちらが凡庸というふうに考えたりすると、再び凡庸さの罠に落ちてしまうことになります。そこで、一方がそのような構図を想定することができるものであるとしたら、いま一方は構図そのものの成立を許さないようなものだと考えざるを得ないし、そこでの両者の比較というのはまったく意味がない。意味を問おうとすること自体禁じてしまうような、ほとんど暴力的な力だと考えざるを得ないわけです。
つまり、凡庸と愚鈍を分類してしまうこと自体が「型にハメる」という行為であり、定義によってそれは凡庸となるということである。では、分類をせずに定義できるのかというと、たとえば自己言及型の命題は定義できるのだから、性質を述べること自体は構わないと思う。


入江君の主張
三島由紀夫は北杜夫の『楡家の人びと』を絶賛し、同作者の『白きたおやかな峰』は個人宛の手紙で批判した。『楡家の人びと』の基一郎は決して天才ではなかったが、型にハマらない愚鈍な何かであった。しかし、それ以外の登場人物は凡庸そのもので、何らかの陥没点にハマッて他人から見て良くない判断をしている。『楡家の人びと』では凡庸と愚鈍が描写され、なおかつ現代小説の流れに抗って平易な文体を使うことによって、描写された凡庸が平易な文章から汲み取れるようにしてあった。三島はそこに市民性を見出したが、平易な文体という戦略は一度しか使えないと言う。しかし、北杜夫はその戦略を繰り返し、三島は小説界と現実界の埋まらない乖離に苛立ちを覚える。ただし、三島自身も市民性という陥没点にハマッている。以上のことを入江君は言いたかったのだと思う。

2009/03/06

多田(2003)

多田洋介(2003)『行動経済学入門』日本経済新聞社。

経済学の想定する合理性、たとえば効用最大化やナッシュ均衡は本当に実現されるのかという疑問を持ち続けていた。しかし、偉大な学者たちはすでにその疑問に対して実験やモデル構築を通じて解決を試みていたのである。

ハーバート・サイモンは人間の限定合理性について、人間は効用最大化する解を完全に求めるのではなく、定石や経験則(rule of thumb)を使って最低限譲れない基準を超えていれば満足してしまうと考えた。すなわち、人間行動は効用を最大化するだけでなく、最適化コストの最小化でもある。また、アカロフはこれに近い概念として、自らの効用または利潤を最大化していないものの、合理的に行動しないことによる損失は極めて小さいために、あえて従来の行動を再考することはしない、という近似合理性が個人や企業に観測されると議論した。このようなミクロの小さな非合理性がマクロでは無視できない大きな効果となる。

カーネマンとドヴァースキの研究では、rule of thumbのような近道選び(heuristics)は、三種類に分類される。ひとつめは、代表性の近道選びで、結合効果や小数の法則がある。結合効果とは「AかつB」の確率がAの確率よりも高く予想する傾向があることであり、小数の法則とは「コインの裏が5回連続で出たので次は表にちがいない」というようにサンプルが小さいのに大数の法則を適用する傾向を指す。ふたつめは、利用可能性の近道選びであり、頭に浮かびやすい情報を優先させて判断をする傾向である。みっつめは、係留効果で問題の本質とは関係のない情報にこだわってしまうことである。この他、自分の行動を正しいと過信する「自信過剰」や、自分がとってしまった誤った行動に目を向けようとしない「認知不協和」といった性向も挙げられている。

カーネマンたちはプロスペクト理論という行動モデルも編み出した。価値関数v(x)は参照点からの変化であり、参照点をwとすれば従来の効用関数がu(w+500)などと書いていたものをv(500)と表わす。同じ金額やモノでも得るときと失うときでは価値関数の値が異なり、価値関数では損失方向の傾きは利得方向よりも2倍程度となる。また、プラスの方向では損失回避的だが、マイナスの方向ではrisk-lovingになる。また、期待効用に使われていた確率ウェイトは、価値関数では主観的であって、この確実性効果により、小さな確率のときは実際よりも大きくなる。確率0.4を境に実際の確率よりも低く捉える。このプロスペクト理論は行動ファイナンス、公共選択理論、政治経済など応用が沢山あるという。「心の家計簿」「ナイト流の不確実性」という考え方がプロスペクト理論に関連する。

ファイナンスの分野では効率的市場仮説を考え直す。すなわち、合理的期待仮説に基づけばファンダメンタルズに一致した市場になるはずであるし、そうでなくともアービトラージを通じて神の手が働くはずである。しかし、ファンダメンタルズから乖離した現象が見られ、それは近道選びやプロスペクト理論により合理的に行動するとは限らないということや、非合理に動くプレーヤーの存在により裁定取引が機能しないというように分析される。

割引率はδのときt期の収益をδのt乗で除するが、未実現の利益を本当に喜ぶならば禁煙を失敗することはないだろう。割引関数は指数型よりも、双曲型あるいは準双曲型なのではないかと修正される。このとき指数型とは異なり、1日目には2日目がベストだと思っていたことが、2日目には3日目がベストになったりする。この先送りをあらかじめ予想している人は1日目に済ますかもしれないし、1日目の約束を確実に守って2日目に済ますかもしれないし、先送りを繰り返していくかもしれない。

利己性の批判として人間の相互応報性が挙げられる。相手が自分に対して好意的な行動をとれば、こちらも相手に友好的になり、逆に相手が敵対的な行動に出れば、自分も相手に対し攻撃的な行動をとる。

クリティカル・シンキング

[新版] MBAクリティカル・シンキング

クリティカル・シンキングの4つの基本姿勢
(1)目的は何かを常に意識する
(2)前提条件、置かれた環境に合わせて考える
(3)イシューを踏まえたうえで、「考える枠組み」を考える
(4)問い続ける(why?So what?True?)

クリティカル・シンキングの3つの方法論
(1)正しく論理を理解する(演繹法と帰納法)
(2)因果関係を把握する
(3)構造的にアプローチする

論理展開のチェックポイント
*演繹法
(1)間違った情報
(2)隠れた前提
(3)論理の飛躍
(4)ルールとケースのミスマッチ
*帰納法
(5)軽率な一般化
(6)不適切なサンプリング

因果関係を考える際のチェックポイント
*無意識にしてしまう、ものの見方や考え方
(1)直観で判断していないか
(2)第3因子を見落としていないか
(3)因果の取り違えはないか(逆の因果関係、にわとりとたまごの関係)
(4)たまたま最後に起こった事項、あるいはたまたま目立った事柄を、本質的な原因と勘違いしていないか
*目的や手段に関する錯覚
(5)真の目的が共有されているか
(6)手段が目的化していないか
(7)予期せぬ副産物(悪い影響)はないか

問題解決の流れ
(1)イシューの特定(何を解決したいのかを考える)
(2)どこが悪いのか(Where)を特定する
(3)どうして悪いのか(Why)を特定する
(4)どうすればいいのか(How)を探る
問題解決のステップを踏む際に意識すべき点
(1)飛躍しない
(2)ステップを順序通り踏む

MECE: Mutually Exclusive, Collectively Exhaustive
モレなくダブリなく考える(任意の要素が1つだけの集合に属さなければならない。0も2も駄目。)
(1)全体をきちんと定義する
(2)違う切り口を混ぜない

フレームワーク
(1)3C分析(Customer,Competitor,Company)
(2)ビジネスシステム(バリューチェーン etc.)
(3)マトリックス分析(SWOT分析 etc.)

ロジックツリー:MECEを意識して上位概念を下位の概念に論理的に分解していくこと
*問題解決で用いられる場面
(1)本質的な問題がどこにあるか(Where?)を絞り込み、それがどうして悪いのか(Why?)を探る
(2)本質的な問題に対して解決策(How?)を考える
*留意点
(1)最初のテーマ設定に注意する
(2)複数の切り口を持つ
(3)結果(とくに最終結果に近いところ)から原因をさかのぼる

因果の構造化
(1)まずは粗くつくってその後に細かい部分をつなぐ
(2)最後に重要なところを抜き出す

事象の構造化のチェックポイント
(1)目的や課題を明確にする
(2)感度のいい切り口を考える
(3)手を動かしながら考える

論理をピラミッド型に構造化するステップ
(1)イシューを特定する
(2)理解と納得につながる枠組みを考え、情報をグルーピングする
(3)So what?(だから何?)を問いかけ、帰納・演繹に裏打ちされたメッセージを抽出する
(4)Why?True?を問いかけることで、論理が成立しているかチェックする

論理の構造化のチェックポイント
(1)イシューを押さえ続ける
(2)論理の枠組みをしっかり考える
(3)受け手の立場に立って考える
(4)言葉の定義を明確にする
(5)再チェックを怠らない(説明すべき前提を省略していないか、別のメッセージの下にある情報がなければ成立しないメッセージになっていないか、直下ではなく更に下の情報がないと成立しないメッセージになっていないかなど)
(6)手と目を動かして考える

2009/03/05

鈴木(2008)

鈴木健(2008)「ゲームプレイ・ワーキング―新しい労働観とパラレル・ワールドの誕生」東浩紀、北田暁大編『思想地図』vol. 2、日本放送出版協会。

国富論」を参考にした「機械と製造業の経済」は「経済学原理」や「資本論」で何度も引用されている。人間労働を機械やコンピュータとしてとらえることは何の問題もない。実際に機械の人間化と人間の機械化が進む現在では両者は歩み寄ってきている。コンピュータで現実を再現できるようになってきた現在では、現実がゲーム化してきている。ゲーム化した労働をゲームプレイ・ワーキングと呼ぶ。ゲームプレイ・ワーキングにおいて、労働はどのようなゲームとしても解釈可能であり、「現実」の複数化を加速する。カール・シュミットは敵と味方を区別することを政治の本質とみなした。しかし、複数の現実の中で自我の領域は広がっている。他者は自分がゲームプレイするはずの主体だったかもしれないからだ。

本田(2008)

本田由紀(2008)「毀れた循環―戦後日本型モデルへの弔辞」東浩紀、北田暁大編『思想地図』vol. 2、日本放送出版協会。

戦後日本型循環モデルとは、会社と学校と家庭という三角形である。会社には正社員、非正社員、自営等が属し、家庭に属している「父」が働き、賃金を分配している。学校には、家庭の教育意欲に応えてつつ教育費を徴収し、「子」を労働力として会社に供給する。家庭には「母」「父」「子」がおり、主体的存在となっているのは「母」である。政府は会社に向けて産業政策さえすればよい。

しかし、共働きとなり、主体的存在であった「母」の役割が変わった。そして、会社では正社員や非正社員が多様化し、三角形に属さない「個人」が生まれた。戦後日本型循環モデルには、現状、ほころびが発生している。維持は不可能である。

リチャード・セネットは新しい資本主義への対抗手段を挙げている。いわば機械化する人間活動に残される人間味である。
-物語性(narrative)
全体の時間の中に現在の経験を位置づけること。
-有用性(usefulness)
献身的活動が認められること。
-職人技(craftmanship)
自らの仕事に対する誇りにこだわること。

これらの3点を新しい世代に指し示す必要がある。家庭ではなく、市民や政治がその担い手となるというのもひとつの手ではある。

大竹(2009)

大竹文雄(2009)「労働経済学研究に求められるもの」『日本労働研究雑誌』2009年2・3月号(No.584)。

経済学を経済政策へと落とし込むことは、最新の経済現象を追いかけることが一見して良いかもしれない。しかし、万物の流転は研究よりも早く、実証データを正確に分析しつつ追いついていくことはとても気力が必要である。政策研究にとって必要なのは、むしろ質の高い様々な研究を普段から行なうということである。それでこそ、しっかりした学問的裏付けを自信として政策を分析することができる。

2009/03/04

Obsfeld and Rogoff (1995)編集中

Obstfeld,Maurice and Kenneth Rogo ff (1995) "Exchange Rate Dynamics Redux," The Journal of
Political Economy
, Vol. 103, pp. 624-660.

あとで読む。

http://d.hatena.ne.jp/eliya/20090304/1236153873

クルグマン(2000)

ポール・クルグマン(2000)『良い経済学 悪い経済学』山岡洋一訳、日本経済新聞社。

レスター・サローやロバート・ライシュといった経済学者は日本でも有名だが、クルグマンはこれらの経済学者に好意的でないようだ。クルグマンの立場としては、企業レベルでは競争はあるかもしれないが、国家レベルではプラスサムなので、国家の競争力という概念を否定する。おそらく、サローやライシュは国家同士が市場を浸食しあっていることを描写していたのだろう。だいぶ前に図書館で借りただけなので、内容はほとんど忘れてしまったが、おそらくクルグマンなりに国際経済を解説していた気がする。とにかく、戦略的貿易政策が諸悪の元凶なのだ。

http://d.hatena.ne.jp/kuma_asset/20090301/1235913189

2009/03/03

松原(2008)

松原望(2008)『入門ベイズ統計―意思決定の理論と発展』東京図書。

確率は以下のように定義される。
標本空間の任意の可測事象に対し実数を対応させる関数で、3つの公理をみたす。
(1)任意の可測事象に対し、
(2)
(3)可測事象が互いに排反ならば

である。

条件付き確率の定義


の分割が与えられたとき、ベイズの定理が以下のように表現できる。


ここで、を原因とすれば、は結果に対する原因の確率であり、これを原因事後確率と呼ぶ。これに対して、事前確率と呼ぶ。ベイズ統計学では、事前確率が客観的データに基づかなくてもこれを許容し、何かしらの直観や期待に基づいてもよい。これを主観確率あるいは個人確率と呼ぶ。

事前確率と事後確率が同じ性質の場合、観測の繰り返しの中で、事後確率は新たな主観確率となる。事後確率の結果から事前確率を更新することをベイズ更新(Bayesian Updating)と呼ぶ。ベイズ更新の分野としてはカルマンフィルターなどがある。

ベイズの定理からすなわち「事後情報=事前情報×尤度」という関係が導ける。事後情報が観測できるとき、事前情報を特定する作業をベイズ決定という。結果からまず推定できるのは確率変数の確率分布であり、これを原因としてうまく決定したいのである。
(1)の確率分布を扱いやすい性質、たとえばベータ分布などと仮定する。
(2)結果の観測から、分布のパラメータ(平均や分散など)を推定する。
(3)損失関数を最小化するを選ぶ。
以上のステップを踏めばベイズ決定ができる。損失関数の性質によって、メジアンもモードも単純平均も推定値となりうる。

先述のカルマンフィルターについては、観測可能な時系列データから状態(state)を推定することが目的である。状態空間表現(state space representation)は観測方程式システム方程式から構成されている。


観測方程式の誤差項は観測誤差(observation error)である。ここで新たな観測結果を得たときに状態の推定値を更新していきたいのである。簡単に書けば次のように表現できる。あとは観測情報によるイノベーションを組み込むだけである。


ところでサンプルの少なさから事前情報を抽象的に表わすほかないときには、少ないサンプルからでも事前情報を推定しなければならない場合がある。そういうときには経験的ベイズ決定(empirical Bayes estimation)が有用である。

の形をした離散型確率分布を考える。このとき、の期待値の経験的ベイズ推定は

で与えられる。

ガードナー(2005)

ハワード・ガードナー(2005)『リーダーなら、人の心を変えなさい。』朝倉和子訳、ランダムハウス講談社。

図書館でコーチング論を探していると、この本を見つけたので、邦題を信頼して借りた。しかし、中身はリーダー論ではなく、心の変化を認知心理学からアプローチするものである。最初の数ページをパラパラ読んで、自分には合わない、この本を読んでも使いこなせない、と思った。ハッとして原題を確認すると、「Changing Minds: The Art and Science of Changing Our Own and Other People's Minds」であった。中身はそこまで読んでいないが、販促用の邦題ではないだろうか。

心の変化をとらえるためには、心とは何かということから始める。どうやら心の中はコンテンツというモヤモヤした記憶と、知性という思考の道具で構成されている。どんなコンテンツを持っているのか、どんな知性を持っているのかということは紙に書いたりすれば明確化できる。コンテンツや知性も認知心理学の研究対象ではあるが、この本では「心の変化」を主題とする。では、心の変化をどうやって研究したら良いかと言えば、事例研究なわけだ。心の変化といえばリーダーである。心動かすリーダーが少なくないからだ。しかし、リーダーだからと行って人の心を動かす必要はないし、リーダーでなくても人の心を動かすことはある。自分には経験が足りないので、この本はゴミ箱に投げ捨てる。