2009/08/17

Refuted economic doctrines (in Japanese)

ざっとメモ。細かい内容はよくわかんない。

#1: The efficient markets hypothesis
EMHでは市場がすべてを織り込むとしていたが、過去のチャートから将来を予測することはできないという意味ならばまだしも、市場がすべてを織り込むとするのには実証研究が否定的であるし、それにバブルなんて起こるはずもない。EMHが否定されている以上、市場は政府よりも優れている点も劣っている点も持っている。混合経済が計画経済とレッセフェールのどちらよりも望ましいということになる。

#2: The case for privatisation
民営化は政府事業の切り売りによって財政を健全化するとともに事業の効率化が実現できるという意味と、政府では実現しえない効率的な資本配分を達成するという意味があった。とはいえ、これは市場が機能しているということが前提である。
株式のリターンのほうが債券のリターンよりも高いという株式プレミアムパズルというのがあって、EMHの通りに株式市場は経済を反映しているので株式リスクではなく経済リスクを反映しているからという理由と、単に債券に流れないようにプレミアムを乗せるためという理由が考えられた。しかし、EMHの崩壊でこれらの理由はパァになった。

#3: The Great Moderation
21世紀初頭の世界的な超安定成長(The Great Moderation)は金融政策ツールの向上だとか自由主義の恩恵だとか色々と理由付けはされていたものの、急に消滅してしまった。

#4: individual retirement accounts
年金運用が溶けまくりである。いわゆる安全資産が実はジャンクということもあったし、財務アドバイザーも役に立たず、株式は長期的投資に向くとかいうのもウソだった。やり方を変える必要があるだろう。会社ごとの確定拠出型年金を連携させてもよいし、国家的な老年年金でもよいだろう。年金改革は必要不可欠である。

#5: Trickle down
富裕層を伸び伸びさせておけば経済全体に恩恵が降ってくるというのがトリクルダウン理論であった。たとえば、PE企業などによる株式売買が資本配分を効率化させるし、クレジットカードの充実で生活を楽しむことができる上に将来所得や株価・不動産価格の上昇期待から一時的な所得変動を乗り越えることができるし、富裕層向けの贅沢品などの産業が発展して雇用が発生するということになる。ところがバブル崩壊で金融サービスの虚構とか家計の破綻とかが現れるようになってしまった。

#6: Central bank independence
中央銀行の独立性によって、均衡財政と中央銀行による金融政策を両立させていたが、危機時において中央銀行の金融政策に財政ファイナンスが必要となる。

#7: New Keynesian macroeconomics(himaginary)
New Keynesianの中心テーマは、Old Keynesianにミクロ的基礎付けがないとするマネタリストや新しい古典派の批判を需要面で応えるという必要性であった。不完全競争の世界を仮定して、価格硬直性から生まれる小さな景気変動がその一例である。New Keynesianは新しい古典派のような自由競争論に対する反駁である。k%ルールや均衡財政ではなく、中央銀行の利子率操作やビルドインスタビライザーな財政政策といった中期的なマクロ政策を正当化する理論的枠組みとなっていった。しかし、どちらにしろ崩れてしまった現在は防御側になる必要もない。

#8: US labor market superiority
初期の研究では「雇用の流動性が高い=失業率が低い」だったが、後々の研究では「雇用保護法=雇用の安定化+失業率引き下げ」などとされていた。米国の失業率が欧州の失業率を上回って、どちらが正しいのやら。

#9: Real Business Cycle Theory(himaginary)
新しい古典はにおいては雇用等の変動を外生的ショックと見なしたが、RBCにおいては雇用等の変動が社会全体の最適反応であると見なした。が、今回の危機において役に立っていない。また、カリブレーションという手法を導入し、これはニューケインジアンにも応用されている。しかし、ニューケインジアンもまた今回の危機では役に立っていない。

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