三品和広(2004)『戦略不全の論理―慢性的な低収益の病からどう抜け出すか』東洋経済新報社。第一章から第三章までのコピーをもらったので、第二章まで読んでみる。第三章はコマツとキャタピラーのケース。
戦略は「目先の損得にとらわれることなく考え抜いた意思決定」でなければならず、長期収益の最大化に直接関与する営為を指す。経営戦略の歴史は浅く、Ansoff (1965)やChandler (1962)に始まるにすぎない。アプローチとしては帰納法と演繹法が考えられる。
帰納法として、Peters and Waterman (1982)が優良企業43社を6つ業績指標と革新性に関する評判で抽出し、顧客密着の姿勢や本業への傾斜など8項目の特徴をエクセレント・カンパニーの条件とした。しかし、Collins and Porras (1994)で大半が入れ替わるのみならず、優良企業が凋落する例すらあり、帰納法による戦略論の構築は何らかの過ちを含んでいる。
演繹法としてはマイケル・ポーターと伊丹敬之が日米の代表である。企業収益の最大要因を、前者は産業構造に求め、後者は見えざる資産の蓄積に見出した。しかし、演繹的であるはずのミクロ経済学では静学的に「儲けすぎ」が死荷重となる意味で経営学と対立点があるので整合性が悪い。動学化することで両者は整合性を保てるはず。また、演繹法の欠点としてはそれが必ずしも「身につく」とは限らない点が挙げられる。
HBSではケース・メソッドを教育の中核とする。経営や戦略を学びたければ、擬似的な体験学習こそが王道だからである。
Milgrom and Roberts (1992)の概念を借りれば、日本企業は「人を動かすうえで何が利己心に取って代わるのか」というモチベーション問題、「利害の一致しない構成員をいかに動機づけ、共通目標に導くのか」というコーディネーション問題を二重に抱えている。三品(1997)のように、日本型企業モデルとアメリカ型企業は比較研究として格好の材料であり、それはそれぞれの企業形態が極大的だからである。日本が二重の課題を抱えるのと同様に、アメリカ企業は絶対的な最高経営者を以下に統制するかというガバナンスの問題が強い。日本企業の売上高営業利益率の推移を見ると、非製造業は低いなりにも堅実に推移(3~4%程度)してきたのに対し、製造業は1960年代の10%前後から1990年代の4%まで下がり続けた。この傾向は円ドルレートの推移とほぼ合致する。円高傾向とグローバルの波に追いつけなかったのである。
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