2009/03/08

田村(2008)

田村哲樹(2008)「民主主義のための福祉―『熟議民主主義とベーシック・インカム』再考」東浩紀、北田暁大編『思想地図』vol. 2、日本放送出版協会。

まず、議論の前提となる現代社会の現状として、旧来型の国民的価値観の行き詰まりが挙げられる。つまり、多数派というものの絶対性が弱まってきており、多数派によるコンセンサス形成(つまり多数決)はうまくいかなくなってきた。ひとつの多数派から多くの少数派へと構造変化したとき、徹底した議論によって何らかの共通理解を浮かび上がらせることが代替手段となりうる。

批判としては、徹底議論がそもそもうまくいくのかという点と「合理的な議論」の名の下に何らかの意見がネグられるという点が指摘されている。しかし、徹底議論の間に個々人が価値観を変容させ、当初自分とは異なっていた意見を取り込んでいくという過程もコンセンサス形成の上で期待される。では、熟議民主主義が成功する条件とは何なのか。

筆者はその条件として社会保障としてのベーシック・インカムを挙げる。そもそもグローバル化や脱伝統化という時代の流れは、いまや固定的な価値観に対して否定的であり、つねに個々人が新しい判断を下していかなければならない。そこでギデンズは、個々人は自身の行為の自律性を確保する必要があり、なおかつコミュニティに対する責任を果たさなければならないと主張する。筆者はこのギデンズの議論を社会全体の民主主義に拡張する。

ベーシック・インカムの要諦は民主主義への参加の確保である。つまり、立法や裁判は代議士や裁判官に委託されていたが、労働力の不足からであり、これは生産性の向上によって解決されつつある。また、PTAや清掃などの奉仕活動などは、労働力としてみなされてこなかった主婦層によって担われていた。ベーシック・インカムによって、あらゆる労働者に余暇を確保することで、民主主義への参加を促すということである。この意味で、ベーシック・インカムは弱者保護ではなく、民主主義への貢献に対する謝礼として支払われる。ただし、筆者は民主主義への参加者だけに留まらず、無条件に全員を対象とするべきだと言う。これは、民主主義の参加が、理解不可能な他者への遭遇を意味するからである。民主主義は社会レベルで必要だが、個人レベルで不必要かもしれない。ベーシック・インカムは民主主義を労働市場から切り離すものであるが、ベーシック・インカムを民主主義の参加という有償労働の対価として結びつけてはいけない。民主主義の魅力の無さを増長するからである。思うに、個々人の立場の安定性が民主主義の鍵となるのである。

http://d.hatena.ne.jp/TamuraTetsuki/20090308/p2#c1236563827

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