濱野智史(2008)「ニコニコ動画の生成力―メタデータが可能にする新たな創造性」
東浩紀、北田暁大編『思想地図』vol. 2、日本放送出版協会。
創造性とは何か。一般に創造性は作者に焦点が当てられ、教育心理学や病跡学によって「天才とは何か」が分析されてきた。しかし、レッシグやフロリダのように環境に焦点を当て、作者同士の競合や調和を通じた集合的な創造性が着目できる。これを一般の創造力と区別して、ジットレインの言葉を借りて、生成力と呼ぶ。その生成力のケーススタディとしてニコニコ動画を分析する。
たとえば、一次創作として「星のカービィ スーパーデラックス」を考える。二次創作としては、カービィを主人公とした同人マンガが考えられる。(あるいは公式マンガも含まれるかもしれない。)しかし、二次創作は一次創作にぶら下がっており、二次創作に三次創作がぶら下がることはありえないだろう。ところが、ニコニコ動画では「グルメレース」がジャンルとして確立し、次々とMAD作品が生み出されている。(グルメレースというジャンルも有名二次創作が発端である。)このジャンルの確立過程で重視すべきは、動画につけられている「タグ」なのではないかということである。
ここにワインバーガーの考えを応用する。初期段階の整理法はAをBにしまうという一対一の関係であった。次の段階では、AをBにしまったいうことを覚えるためのCを予め用意する。最後の段階では、Aに情報Dを附しておいて、検索機能によってAを呼び寄せるということである。たとえれば、次のようになるだろうか。
(1)ただのURL
(2)yahooのディレクトリ検索
(3)はてブのタグ
タグは後付けであり、(2)のように最初から分類されたものではない。したがって、分類の自由度が高い(3)をfolksonomyと呼び、分類の自由度の無い(2)のtaxonomyと区別する。
ところが、ニコニコ動画は他のタグ機能と違う点がある。たとえばタグ戦争である。簡単に言えば、10個以内というタグの拡散の防止、タグロックという良質のタグの保護、タグの編集の自由を通じて、タグが淘汰される。それでいてタグ設定自体にルールは無い。その例として筆者が挙げているのは「××は俺の嫁」といった一見ナンセンスな解釈が許容されていることである。この自由で多様な解釈は、コペンハーゲン解釈のように確率的に存在しており、タグの観測を通じて収束していくようだ。(ただし、変化が止まることはありえない。)以上のような新陳代謝が活性化したタグ環境をfolksonomyと区別して、fluxonomyと呼ぶ。
こうして進化していくタグは、動画と動画を結びつける媒介であり、作者もこれをヒントとして創作活動を行なっているのである。この世界では、作者名ではなく、受け手が作るタグによって評価される。したがって、フーコーが表現した「機能としての作者が現われることなしにもろもろの言説が流通し、受けとられるような文化」が具現化されつつあると言える。
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