2009/03/09

高橋・森垣(1993)

高橋亀吉、森垣淑(1993)『昭和金融恐慌史 』講談社。

恐慌以前
経済の近代化に比べて、銀行制度は前近代的であり、資金力が乏しい小銀行が濫立していた。しかも、貸出に関しては経営内容ではなく、コネのような信頼関係(とは言っても付き合いは深くない)であり、そこに多額の貸付けを集中して行なっていた。
それでいて1915年(大正4年)頃から世界大戦による軍需の増大や欧州における供給力の低下から好景気が訪れる。ここでプチバブルが起きて、後の不良債権の原因にもなった。

恐慌前夜
関東大震災や為替レートの乱高下で経済は混乱する。これは、震災手形や金解禁へと繋がる。
また、台湾銀行と鈴木商店のような癒着関係も進展した。

恐慌発生
1927年に三段階の波が発生する。
第一波、3月の渡辺銀行から始まる京浜地方における銀行取付け。
第二波、4月の台湾銀行と鈴木商店の絶縁に始まる銀行取付け。
第三波、4月の台湾銀行休業に始まる全国的な信用パニック。

善後処置
(1)全国の銀行一斉休業+モラトリアム発令
(2)休業空けの預金支払い確保のための日銀特融
(3)日銀による個別の安定化措置
(4)市中銀行同士による信用安定化の申し合わせ
(5)昭和銀行の設立(休業銀行の整理)
昭和銀行の設立に関しては諸銀行が金を出し合うととともに、銀行重役も出資したらしい。

その後の影響
(1)金融の緩慢化
(2)低金利の出現(資金需要の低下と特融による過剰資金供給)
(3)大銀行、大都市への資金集中
(4)日銀の金融統制力の減退
(5)中小企業の資金調達難

銀行業界への打撃と比べると、産業界・証券界への影響は小さかった。

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