2009/02/01

清水(2007)

清水真人(2007)『経済財政戦記―官邸主導小泉から安倍へ』日本経済新聞出版社。

景気対策の財政出動により国債残高累積に陥り、逆に橋本内閣では財政再建に失敗したことからわかるように、経済と財政は原則的に両立させなければならない。橋本行革で制度化された経済財政諮問会議を小泉内閣は行政の意思決定機関として活用する。竹中経財相時代は諮問会議が党と比べて高めの目標を設定する「対立型」の役割であったが、与謝野経財相時代は党政調会に歳出改革を、党税調会長の柳澤伯夫氏に歳入改革を委託する「協調型」の役割を演じるようになる。

そもそも財政の持続可能性は債務残高の対GDP比を発散させないというドーマー条件が出発点だった。ただし、名目金利と名目成長率の差が、プライマリーバランスの目標を左右する。金利よりも成長率が高ければ歳出削減だけで十分だが、低ければPB黒字化のための増税が必要となる。この政治スタンスによって上げ潮派と財政タカ派に色分けされる。金利と成長率の関係はどちらが主導権を握るのかという点で重要であり、Mankiw (1998) "The Deficit Gamble"の解釈を巡って議論されたこともあった。複数ケースを想定することや、二階経産相が経済成長戦略の策定を主導することで一応の決着をつけた。

与謝野氏はプライマリーバランスを均衡させるための要対応額と歳出削減額の差を増収措置として考えていた。歳出削減策を中川秀直政調会長にアウトソースし、増税措置額よりも歳出削減額を多くして世論に応えようとした。中川秀直氏は財政再建をするにあたって、歳出削減と増税を7:3の比にすることを目指した。Alesina and Perotti論文によれば、財政再建の成功例は72:28である一方、失敗例は44:56であるからだ。歳入改革については党税調が主導し、諮問会議の民間議員は重要性が低下してしまった。政策決定の説明責任や透明化という諮問会議の役割が低下する一方で、党主導のプロセスで骨太の方針2006が決定された。

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