2009/02/23

数学ガール

結城浩「数学ガール」ソフトバンククリエイティブ。
大学生協書籍部に山積みされていたものの、買うのは気が引けたので図書館で予約して借りてみた。読んでみると、高校生の主人公が同級生のミルカさん、後輩のテトラちゃんに囲まれて、数学を勉強する話だった。

高校数学の延長線なので目新しい話はないのではあるが、「数列の母関数」という概念は初見であった。要するに、数列をxの累乗の係数と見立てて、無限べき級数の関数に変換するのである。たとえば、漸化式があるならば、係数間の関係式を利用して、母関数の係数を逆算することができる。数列の一般項を求めることができるということである。

21世紀に入ってから、ゆるキャラや秋田米等々、顕著に萌え化が流行しはじめ、おそらく一過性の流行ではなく、今後発展していくことであろう。こうした学問的分野においても萌え化することによって敷居を低くし、大衆を啓蒙できるならば、それは至極望ましいことである。

結城浩「数学ガール/フェルマーの最終定理」ソフトバンククリエイティブ。
パラパラとしか読んでいないが、フェルマーの最終定理の証明は、いくつかの「定理」をブラックボックスにして、その定理の適用を考えるという仕組みであった。「萌え」を売りにして数学を教えるということは、麻生太郎の説く日本人のオタク気質(craftmanship)に合致するのかもしれない。高校数学のときは網の目のように関連させることで数学を学んでいったが、この本の教え方はそういった形式である。大学数学は網の目がきわめて細かく全体像における「今の学習」の位置づけがつかみにくい。数学嫌いは全体像が見えないところからはじまるのではないか。その全体像を「萌え」という「釣り」によって一度見通させることを試みることによって、全体像を見つめることが学習の大きな一歩となる。

身近な例でたとえれば、街を散歩する際にいきなり小道を使うと覚えられない。まずは大通りを使ってグルリとする。大通りがわかってきたら、小道に入ってみれば新たな発見がある。あるいは地図を使って全体図を把握する。年をとると学習効率が落ちるが、結果を急ぐ余り小道に入って出られなくなるからだ。子供はとりあえずグルグル回ってみる。そして、道の使い方に慣れてくるのだ。

法律を学ぶときには入門書から始めると言うが、コンメンタールから始めるのはおそらくつらいことであろう。世界史を学ぶときにはカタカナに悩まされるが、むしろ全体の流れを覚えたほうが楽であろう。数学も全体の流れがある。

群、環、体の定義が初見であった。群とは、決められた演算に関して結合法則が成立し、その単位元と逆元が存在する集合である。環とは和の交換法則が成立し、積の結合法則が成立し、分配法則が成立する集合である。体とは、環のなかでも、単位元が存在し、ゼロ以外の元について積の逆元が存在する集合である。図書館に本を返してしまったので確認できないが、こういう定義であったとして間違いないだろう。

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