2009/02/18

青木(2008)

青木昌彦(2008)『比較制度分析序説―経済システムの進化と多元性』講談社。

ワルラス均衡が完全競争あるいは計画経済によって達成できることに疑問を呈し、複数均衡を導くようなモデルを比較制度分析として展開する。個人の限定合理性進化ゲーム理論を応用することでパレート最適なP均衡でない、アメリカ型のA均衡と日本型のJ均衡が進化的均衡となりえる。とくに情報処理能力の限界を考慮すれば、組織のコーディネーション形態として5つの基本型が挙げられる。
-古典的ヒエラルキー
マネジメントが各事業単位の活動水準を決定
-情報同化型
すべて事業単位が共同して活動水準を決定
-水平的ヒエラルキー分権的ヒエラルキー情報異化型
マネジメントはルールのみ設定し、各事業単位が各々の活動水準を決定。ただし、これら3つは情報に違いがある。組織を事業単位に分割したときに、それぞれの事業単位にのみ影響する個別環境パラメータとすべての事業単位に影響するシステム環境パラメータがある。測定能力は誤差の分散値で表現できる。このとき以下のような仮定をつける。
1)マネジメントはシステム環境パラメータと個別環境パラメータの事前情報は有するが、正確な実現値を事後的に測定できない。
2)各事業単位はシステム環境パラメータと自身の個別環境パラメータの双方を測定すると誤差が大きくなる。
3)各事業単位の情報は他の事業単位に伝播しない。
このとき、水平的ヒエラルキーは情報同化型に近く、システム環境パラメータは共同で測定される。分権的ヒエラルキーではマネジメントのみが測定する。情報異化型ではマネジメントと各事業単位の両方がシステム環境パラメータを各々が独立して測定する。以上がヨコの組み合わせであったが、タテの関係においてもヒエラルキー的分化情報同化カプセル化などの区別が可能である。

情報処理能力の限界に加えて最大化計算能力の限界を仮定すれば、個々人は既存の組織形態などを参考に、技能習得の方向性を定める。その経済における支配的な組織形態によって支配的戦略が異なり、機能的技能が支配的戦略のときアメリカ型の均衡、可塑的・文脈的技能が支配的戦略のとき日本型の均衡となる。こうした均衡には、戦略の頑健性である戦略的補完性に加えて、諸制度の環境変化に対する頑健性である制度的補完性という特徴がみられる。そうした制度的補完性としてコーポレート・ガバナンスが挙げられる。アメリカは株主が経営者に対する権限を持つことで経営のコントロールをしているが、日本ではサラリーマン社長に一任され、財務状態が悪化したときのみメインバンクに経営権がうつる。こうした日本のコーポレート・ガバナンスを状態依存的ガバナンスと呼び、株主持合いやメインバンク制に関連する。アメリカにおいてもポイズンピル条項、株主支配を部分否定するような会社法改正、機関投資家の保有比率増大を背景に非ワルラス的になりつつある。そもそもコーポレート・ガバナンスは投資家とビジネス・プロジェクトを繋ぐものであり、以下のような課題がある。
1)投資家が経営者ほど情報を有しない逆選択の問題
2)プロジェクトの収益率自身が他の企業に依存するコーディネーション問題
3)きちんとプロジェクトに投資されるかわからないモラル・ハザードの問題
これらの課題を識別し、これらによるソフト・バジェッティング(財務規律の緩み)を回避するべく、経営者を確実に処罰するというコミットメントの問題を解決しなければならない。この上で、メインバンク制は以下のような社会的便益が示唆される。
1)事前・中間・事後のモニタリングを統合することで、メインバンクが企業組織に即した外的規律をルール化する。
2)モニタリングをメインバンクに一任することでモニタリング・コストを削減できる。
3)メインバンクの救済活動で企業の一時的な流動性制約を回避して破綻を防ぐ。
4)プロジェクト間のコーディネーションが可能となる。
ただし、事前的モニタリングとは企業提案の投資計画を評価し、なおかつ他企業の投資計画とのコーディネーションの失敗を防止する。中間的モニタリングとは資金提供後も企業行動をチェックし続けてモラル・ハザードを防止する。事後的モニタリングとは投資行動の結果における財務状態から企業の長期存続性を判断し、匡正(きょうせい)的または懲罰的行動をとる。このようなメインバンク制は銀行局や日銀によって後押しされ、インセンティブとなるレント(不労所得)が銀行に与えられていた。
1)インフレ率を抑制し、預金金利の実質率を正に保ちつつ低く抑える。
2)社債発行を特権企業に限定する。
3)銀行産業や都銀業界への参入を制限する。
4)支店開設許可権や経営権を掌握し、裁量的な信賞必罰制度を運用する。
Murdock-Hellmann-Stiglitzは、実質預金率が負のときを金融抑圧と一般に呼んでいるのと区別して、実質預金率が正であるものの低く抑えられているときを金融抑制と呼んだ。金融抑制は、貯蓄の金利弾力性が高くなければレントを銀行に発生させる。銀行経営がモニターされていれば、レントが支店増設などによる預金形成の増大に使われる。こうしたレントの価値をフランチャイジング・バリューと呼ぶ。一方、貸出金利が均衡よりも低く抑えられているならば、金融抑制によるレントは非金融部門にもスピル・オーバーする。こうした貸出金利が成長可能性や市場シェアを指標にして決められるとき、企業にはシェア拡大という生産的なレント・シーキング活動を行ないうる。
1)高度成長初期に重要な役割を果たした産業において、投資に有用な基本的な技術的知識や商業化は、すでに外国で発展していた。また重要な補完的投資のコーディネーションは、産業審議会などの公的分野を通じてなされた。したがって、民間銀行部門による事前的モニタリングの焦点は、既存のノウハウを吸収し、改善する企業の経営的・組織的能力の評価にあった。この点で、メインバンクによる事前的モニタリングと中間的モニタリングの統合は利点があった。なぜならば、継続的な中間的モニタリングは、都市銀行に信託銀行や証券会社などには得られない、組織に特有な情報をもたらしえたからである。
2)日本の私企業の比較的長い伝統にもかかわらず、戦間・戦期の国際市場からの隔離と政府統制は、市場志向的な金融制度の運営に必要な、専門化した金融モニタリングの資源の蓄積を程度にとどめていた。したがって、金融モニタリングを、投資銀行、商業銀行、信用格付け機関、投資基金、再組織専門機関などの間に分散化するより、銀行部門に統合的に委任することが実際的であった。
3)終戦直後、政府による戦時補償の打切りにより、企業の資本基盤は脆弱なものとなっていた。企業の剰余創出能力もかぎられていて、株式発行は投資資金調達の有効な手段とはなりえなかった。こうした企業の弱い財務能力のもとでは、ある程度低い収益性のもとで、企業救済にコミットしうるような銀行の存在が最適なコーポレート・ガバナンスの構造を提供する。戦後の日本銀行による手形再割引を通ずる銀行への資金供給は、こうしたコーポレート・ガバナンスの構造を銀行の経営基盤を揺るがすことなく生成することに貢献したと言えるだろう。

こうした均衡の形成を通じて比較優位が決定されることを説明できる。Helpman-Krugmanの新しい貿易論では、製品差別化や比較逓増より先のことは射程の外であった。収穫逓増の可能性は組織形態の均衡が決定し、歴史的経路と社会の制度体系に依存する。大国Aと小国Jがあって、それぞれIT業界と自動車業界が強かったとする。経済統合すると小国側の文脈的技能は進化論的に消滅してしまう。貿易を自由化しつつ外資流入を規制することで幼稚産業保護をすると、絶対劣位にあるA国の自動車業界が存続可能なレベルまで、J国においては自動車業界に人材が流入し組織革新する。このようにして、日本は銀行業や非金融の産業
への参入を規制することで、各産業における特有の技能という人的資本価値の保護を確約し、人々に文脈的技能形成を動機づけるという側面があった。あらゆる職業分野に関して、従事する人々→所属組織→業界団体→管轄官庁という構造による仕切られた多元主義が、輸出産業が国際市場から獲得した疑似レント(quasi-rent)を国民全体的に分配することを可能としていたのである。
しかし、技術流出や新興国の台頭によって疑似レントの獲得可能性が低下すると再分配が難しくなる。そして仕切られた多元主義の高まりつつある運用コストを将来世代へと負担移転し、累積する財政赤字によって金融産業や公共事業部門などの低生産・不利益部門を保護するに至る。だからといって、J均衡からA均衡を経てからP均衡に向かう必要はなく、J均衡からP均衡を直接目指したほうが負担がかからない。たとえば、米国の経済成長を支えたモジュール化も、概念をそのまま輸入するのではなく、日本流に解釈してカプセル化などを実践すべきである。だからこそ開かれた多元主義を唱え、純粋持株会社の解禁はその処方箋のひとつである。

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